herako’s diary

私のための私による私のブログ。整理したいことや、吐き出したいことを練り練りして書いてます。

ドライフラワーを頂いた話

先日、Amazonほしい物リストを公開したら早速買ってくれた方がいた。小さなドライフラワーがたくさん入ったつめあわせ。届いたときは思わず小躍りするほど嬉しかった。
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幸い、買ってくれた方が名乗り出てくださったのでお礼を言うとともに、ブログで紹介する許可もいただくことができた。というわけで、今回はこのドライフラワーを使った手芸をしたときのことを記事にしよう。

先日少し書いたように、私の趣味は手芸である。こまごまとしたアクセサリーを作っては眺め、にこにこしたりするのが好きだ。最近は、上手くできたものを数点、ミンネというオンラインショップで販売もしている。
だいたい扱うのは、ビーズとレジン。
ビーズでネックレスやリングを編んだり、レジンでキーホルダーやピアス、リングを作ったりしている。

今回頂いたドライフラワーでレジンを使った作品を早速一点作ったので、その時の写真を。f:id:herako:20190208175524j:plain
紺色に着色し、ラメを混ぜたレジンと白いドライフラワー、そして小さなパールを使ったリングだ。
以前からリングの型を使ってレジン工作をするのにハマっていたので、今回いただいたドライフラワーを一つまるごと入れて可愛らしくしてみた。
深い夜のような色の中に白い花はとてもよく映えて、うまくいったことにニコニコしている。
まだ研磨やコーティングといった、仕上げ作業があまり得意ではないのでこれからはそっちの方面も意識していきたいなと思う。

あらためて、素敵な贈り物をありがとうございました!
まだまだたくさん別色のドライフラワーがあるので、こちらもレジンの中に封入するなどして楽しみたい。
それでは、今回はこのあたりで。

節分とわんこと私

今週のお題「わたしの節分」

なるほど、本文に上のように入れておかないと今週のお題とやらにエントリーしたことにはならないらしい。まだまだはてなブログ、知らないことが多い。


私自身は季節の行事をあまり大切にする質でもないのだが、やはりこの時期になるとあちこちで節分の話題を耳にする。
豆まき。恵方巻き。鬼退治。いわし。
どれにもそこまで思い入れはないが、節分と聞いてふと。豆撒きをまだ自宅でしていた頃、落ちた煎大豆を大喜びで追いかけ回し拾ってはつまみ食いをしていた飼い犬のことを思い出した。
ポメラニアン特有のふわふわとしたクリーム色の毛並みがわさわさ揺れて、豆を追いかけてどたどた走るさまが可愛らしかった。ひと粒つまみ食いをして怒られるたびに尻尾がしばしの間さがり、それでもすぐにまた楽しそうに豆を追いかけていた。

今はもう豆撒きをしていないし、飼い犬もすでにシニアに方足を踏み入れる年齢だ。もう豆まきをしてもそんなにはしゃがないだろうなと思いつつ、いやもしかしたら、とも思う。誰に似たのか食い意地のはった子だ、また喜んで追いかけるかもしれない。
そんなことを思いながら、この記事をスマホで書きつつ隣で眠る犬を撫でている。

豆まきは冗談として、何かまたおいしいおやつでもプレゼントしたいものだ。
先日行った健康診断で、心臓やすい臓に不調が見つかったこの子はしばらく安静と薬物療法、食事療法を命じられている。普段食べることと散歩を愛してやまない子が、決められた分量の決められた餌しか食べることができないのは見ていて非常に心がいたむ。人間の食べ物を頻繁に与えているわけではないし、推奨しているわけでもないのだが、この子はご褒美にもらえるりんごのかけらだったり、調理前の蒸したじゃがいもだったりが大好物なのだ。
散歩に行くこともできないので、ここ最近はなるべく気が紛れるようにそばにいることにしている。つまらなくて仕方がないようで、うろうろと室内を行き来してはこちらの顔色をうかがうように見てくるのでとてももどかしい。
もうすぐまた通院の日が来る。一刻も早く良くなって、そして早く獣医さんの許可を得て、思い切り外で遊ばせてあげたいと思う。ついでに、おいしいおやつも。



話は変わる。
つい先日、やっと卒業論文を提出し、発表も済ませた。これであとは卒業判定を待つのみである。
様々なことがあったが、無事にここまで生き延びることができた。
強くなったなあと思う。
どこの大学にも受からなかったら死ぬと泣いていた子供が、なんとかここまでこぎつけた。春からの進路も決まっている。卒業判定のことは不安で仕方がないが一度置いておいて、まずはここまで来たことをよく褒めてやろうと思う。
残り少ない(ことを希望する)学生生活、好きなことをして、楽しい思い出もまだまだ作って、そうして社会に出る準備をしよう。

http://www.amazon.co.jp/registry/wishlist/GKDGNJBJIWZR
そして思い出したようにここにリンクを。Amazonほしい物リストだ。
よかったら何かくださいな。
これからもし何かこういった形でいただけることがあれば、頂いたものについてブログで紹介していこうと思う。もし万が一、何かいただけたらの話だが。今のところリストにあるのは、趣味の手芸用品と、知り合いが食べていて興味を持った巣蜜というやつ、それからゲームソフトが1つ。だったはず。
手芸用品をいただけたらそれを使った何かを作って紹介したいし、食べ物や飲み物の場合は食レポを、ゲームソフトなんかをもしいただけてしまったら実況を……実況。できるのかしら。しようと思っている。
というわけで、それではこのあたりで。
明日も、いい日になるといい。

感謝と御礼その2

先日の、「センター試験が終わったら死のうと思っている人たちへ。」を読んでくださった方々、またシェアしてくださった方々、本当にありがとうございます。
いつも100いかない程度のアクセス数がいきなり1日で8000近くまで伸び、さすがにちびるかと思いました。トイレでよかったです。

どうもはてなブログのおすすめ記事に掲載していただいたり、SmartNewsというアプリでも掲載していただいたりしたようでとても嬉しく思っています。しかし前者は自分でも確認できたのですが、後者のSmartNewsの方は自分の記事がいったいどこに掲載されているのかさっぱりわかりませんでした。暇に任せて隅々まで探してみたのですがやはり見つけることができません。どこに載せてもらえたのか、めったにない機会なので知りたかったのですが……。
もし見つけたらよかったら誰か教えてください。

過去の自分の経験や気持ちを整理するために書いた記事でしたが、それが私ではない誰かの心に少しでも何か影響を与えられたのだとしたらそれはとても素敵なことだと思います。そして同時に、とてもありがたいことだと思います。
読んでくださる人がいなければ成立しないことです。本当にありがとうございます。

ありがたいことに、読者登録をしてくださった方が何人もいらっしゃって……。ここからはその方々に向けてのものになります。有名どころのブロガーさまたちとは違い、普段は毎日どころか数カ月おきに記事を更新できたらいい方、という更新速度です。
話題も様々ですし、先の記事でも書いたとおり私のための私による私のブログです。役に立つとか立たないとか、そういう基準で書いているものではありません。
このことをどうぞご了承ください。もしそれでも良いということでしたら、どうか飽きるまで遊びに来てください。のんびりだらだらと更新していきます。

最後に、記事を読んでくださったすべての皆様に。
本当にありがとうございました!
寒い日が続きますから、お体に気を付けてお過ごしください。それでは。

センター試験が終わったら死のうと思っている人たちへ。

センター試験が終わったら死のうと思っている人たちへ。
私がそうでした。つまりいつも通り、私による私のためのブログです。

高校3年の秋にうつ病になり、高校に通うどころか引き篭もりになり、外にも出られずに一年浪人した。
予備校に通わせてもらいながら、次の受験を目指すことになったのだ。だが当然のことながら、まともに予備校になど通えはしなかった。

進学校に通っていたのに。私は勉強ができる人間なのに。そのはずだったのに。
文字の上を目が滑り、覚えたと思った単語はさっぱり記憶になく、計算の公式すら出てこなくてやっと思い出した公式に当てはめる数字が読み取れずに、机の前で時間だけが過ぎた。
予備校に通う体で家を出て、ひたすらゲームセンターのソファでぼうっとしていたこともある。そもそも家から出られなくて、それなら家で勉強しようとして、椅子に座っていきなり涙が出てきたこともある。まともに勉強などできる状況ではなかったのだろう。

それでも、なんとか時間と体調を見て本当に少しずつ、まるで何かの事故のあとのリハビリのように少しずつ机に向かう時間を増やした。1分、2分。日によって全く勉強のできる、できないは違った。本当に、勉強をするというよりはリハビリだった。
迎えたセンター試験の当日、人混みに顔を真っ青にしながら試験会場にたどり着いて、たどり着いたことでもはや精一杯で。その後のことは記憶にない。

このとき、私はどこの大学にも受からなかったら死のうと思っていた。
親に金を出してもらって、一年浪人までさせてもらった。親不孝にもうつ病などという恥ずかしい病気にもなり、そのことでも迷惑をかけている。このうえ、どこにも行けなかったら死ぬしかない。
こんなことを思っていた。
短い遺書を書き、残していくことになる本やその他持ち物の処分の仕方を決めて、樹海までの運賃を調べ、ロープを買い、心療内科でもらった睡眠導入剤をできる限り溜め込んだ。なんとなく、もうこれで私はいなくなるんだろうなと思っていた。



結果的に私は今の大学に受かり、こうしてだらだらと生きているわけだが。
週末がセンター試験だと聞いて、自分のことを思い出すいいきっかけだと思ってこうして書き出してみることにした。

あのとき死のうと思っていた私は、それまでに自分ができたことができなくなったことに苛立ち、そのことを恥じ、とにかく現状から逃れたかった。それまでに育っていた歪なプライドが、誰かに助けを求めたり、また自分ができないことを「できない」と認めることを許さなかった。なにより、明らかに病気だった。今なら、いや今でなければわからなかったことだけれども。

目の前にある一つの課題にぶつかって、そこで倒れてしまったとしても、そこで選択肢として転がっているものは「死ぬ」以外にも、ある。
本人にはなかなか見えなかったり気づけなかったりするかもしれない。けれど、確かにちゃんとあるのだ。そこでつまづいてしまったからといって、誰かに死ねと言われることもなければ、死ななければいけないと思いこまなくてもいい。
今であれば。例えばあのとき本当にどこの大学にも合格しなかったら、専門学校生、フリーター、通信教育、はたまた入院、身の振り方はなんとでもなるとあの頃の私に教えてやれるけど、そんなことはできないから。最後の道はできれば通りたくはないけれども。
死にたいと考えたことが無い人にはわからない感覚かもしれないけれど、どうしても書いておきたくて書く。

センター試験で、たとえうまくいかなくても、死ななくていい。
これまでどんなに成績が良くても悪くても、目標にしているところが高くても低くても、真面目にやってきてもそうでなかったとしても、ここで失敗したからって死ななくてもいい。
今なら私は当時の私に言える、よく頑張ったと。
寒いなか、よく家を出ました。朝早くから、よく起きました。すし詰めの電車のなか、よく耐えました。気分が悪かったかもしれないし泣きたかったかもしれないなか、よく食いしばりました。
しんどいなか、よく目の前の課題に挑みました。

私のために書くと言ったけれども、もし、万が一、私と同じようにこれに失敗したら死のうと考えている人がいたら、どうかこの記事が少しでもそこのあなたを引き止める何かになってくれればいいと思う。
大人が作った世界の中で、子供から大人になる途中のあなたがどれだけ苦しい思いをして明日を迎えるのか、この世界の大人はなんにもわかっていなかったりするんだ。だから、そんな大人が作った、大人に都合のいい試験のひとつやふたつであなたが死ななきゃいけない理由はどこにもない。

明日は寒いだろうから、どうかあたたかくして行ってください。頑張れとは言わないけど、遠くの方から応援しています。

今週のお題「読書の秋」

なるほど今週のお題。そんなものもあったなと思い立って、読書という文字を目にして、これならば何かしら書けるのではないかと文字を打ち込んでいる。

小学校、中学校、高校と、私の唯一の趣味は読書だった。
幼稚園に通っている時分から、親に図書館に連れて行かれ絵本を読み聞かせてもらっていた影響も大きかったのだろう。気付けば私は立派な活字中毒のようになっていて、しかしそんな自分が好きだった。
気になった本は何でも手にとって読んでみたし、暇だからと図書館の本棚の端から端まですべてを読みきったこともある。ファンタジーから伝記、図鑑に至るまでなんでも読んだ。
書店に行けば、まだ理解もできない大人向けのコーナーまで足を運んでわくわくしたものだ。
きっと大きくなればここにある全ての本の内容を理解できるようになるのだと信じて疑わなかった。たとえ難解な専門書だと言われても、いずれ理解できるはずと思っていた。

私にとって、本を読むことは著者の頭の中を覗くこととほぼ同義だ。
彼が、もしくは彼女が考えて、練ったものを紙の上に吐き出して整頓して、それは例えば挿絵だったり、表紙だったり装丁だったりに支えられて読者のもとへと渡る。一人の人間の(複数の場合もあるが)頭の中をゆっくりとページに合わせてあじわうことは、とても贅沢で蕩けるような恍惚を産む。
そんな時間を一人でゆっくり楽しむことが私はとても好きだ。時間をかけて作品の中へと入っていけば、そこは朝日の昇る前、草の上に美しく水滴が光る静かな森の中であったり、夕暮れ時のビルの路地裏、ネズミが数匹素早く駆け回るゴミ置き場だったりした。
ページをめくるたびに減っていく残りの世界に寂しさを覚えたり、読み終えたあとの余韻にしばらく浸っていたり、そういう意味でも読書は私の心をとても揺さぶった。そうして読書をして、様々な世界に足を踏み入れたり踏み入れなかったり。たくさんの本を読んで、気に入った本は手に入れた。きっと私はこのまま、どんなに時間に追われたとしても本から遠ざかることはない……と、思っていたのだが。
つい最近まで数年間、私は読書というものからすっかり遠ざかっていた。

理由は簡単だ。鬱病になって、集中力も理解力もガクッと落ちた。
本一冊どころか、新聞の一面だって読み終えることが出来なくなってしまった。
もちろん、急に読めなくなったわけではない。徐々に徐々に、じわじわと。はじめは読書のスピードが遅くなった。気付けば同じ箇所を何度も読んでいた。読んだはずの箇所の内容が思い出せない。文字の上を目が滑る。読んでいるはずなのに内容が理解できない。うんぬん。
唯一の趣味だったので、出来なくなったことに気が付いたときは絶望した。
片っ端から持っている本を読んでみたが、何かに遮られているかのように内容が理解できずに泣いたものだ。あれはつらかった。しかしここではその時期のことはこれ以上語るまい。思い出すことも嫌だ。そのうちまた、吐き出したくなるときもあるだろう。

今、随分回復して私はまた活字を追うことができるようになった。
暇を見つけては漫画を読んでいる。漫画は本ではないって? 難しい話はしないでくれ。小説や雑誌ももちろん読む。しかしよほど気になったものか、序盤で気に入ったものか、または具合がいいときにしか最後まで読み進められない。そんなレベルだ。以前のように興味があろうがなかろうが、ひたすら活字に触れていたいというふうではなくなった。そのことについて、少しばかり寂しいとは思う。が、まあ今はこの程度でもいいかなとも思っている。
病気だけではない、様々な経験をした結果、手芸やゲーム、喫茶店巡りなど他に趣味もできた。色々としたいことも増えたので、そんなに悲観的でもないというわけだ。

つらつらと思ったことを書いてみたが、やはり読書はいいものだ。こうして書いていて、何か本を読みたくなった。しかし実はそんなことをしている場合ではないのだ。もっと言うとこんなふうに記事を書いている場合でもないのだ。私には提出期限が間近の卒業論文が待っている。気晴らしにと書き始めたら存外時間をくってしまった。目を逸らしていた現実がこちらを睨んでいる。
……明日も、いい日になるといい。

冬のはじめと秋の終わり

「採用させていただきたいと思います」

電話口で相手はそう言って、明るく笑ったような気配がした。

春から就職活動を始め、夏に内々定を貰って既往歴で取り消され、秋に活動を再開して。この電話一本で、私はやっと肩の力を抜くことができた気がした。

全く予想もしていなかった業界で、職種だ。不安がないと言えば嘘になる。しかしもう一度金融の業界で就職活動をする気にはならなかったし、なれなかった。職種も、希望していた職種は散々向いていないとされて落ちてきた。
それでも、筆記試験を受けて面接を受けて、あなたに来て欲しいですと言われて、嬉しくないわけがない。業界も職種も、自分なりに考え直して応募したものだ。嬉しくないわけがない、ではない。嬉しい。嬉しかった。

すぐに回答をするのは待った。前回の経験もあり、慎重になろうと思ったからだ。大学の就職活動を支援する部署に相談に行って、不安なこともなるべく全て話して聞いてもらい、アドバイスを受けた。友人にも相談した。家族にも相談した。嫌な顔一つせずに話を聞いてくれた。

数日後、私は無事に内定をいただいた。自室から電話をかけて、御社で働かせてくださいと言って、そして少しだけ笑った。
その後、自宅に届いた書類の中にはやっぱり既往歴を問う質問用紙があった。もう、何を書くべきか、書かざるべきか私にはわかっていたけれども。






世間は精神疾患持ちに厳しい。
目には見えない病気は、わかりにくい病気は理解されにくい。所詮その病気の苦しみは、その病気になった人にしか分からない。
どんなに努力して病院に通っても、どんなに適切な治療を受けても、その病気になったという経験それ自体に突っ込まれたら、私達には逃げ場がない。

うつ病になった理由は、原因はと聞かれて正確に答えられる人などいるのだろうか。これは以前、私のうつ病という既往歴を理由に内々定を取り消した企業から聞かれた質問である。うつ病になった原因は?
そもそもそれを聞いて何を言わせたいのだろうか。私の心が弱かったからです? 環境が合わなかったからです? 何を答えてもこちらが不利になることに変わりはない。知られた時点で、逃げ場はないのだ。


それでも生きていきたい。働きたい。
自分には何もできない、社会にはもう二度と出ていけないのだと決めつけて、暗い部屋の中布団から出られずに天井を眺めるだけの日々には戻りたくない。おかしいことだろうか。
うつ病が甘えだと、心が弱いからそうなったのだと言われることもあるが、ではその現状から抜け出したいと思うことは決して弱さではないはずだ。私は弱くない。強くないけれど弱くはない。うつ病になったことだって、そのあと必死に治ろうとしたことだって、社会で生きていきたいと願ったことだって弱くないことであるはずなんだ。



社会に出て、働いていくうえで私はきっと誰かに迷惑をかけるのだろうと思う。
もしかしたらうつ病が再発するかもしれない。体調を崩すかもしれないし、ある日不慮の事故で突然死ぬかもしれない。
けれどそんなこと誰だって同じだ。その迷惑も含めて世界は回っている。この先どうなるかだなんて分からないし、不安で仕方がないけれど私は今本当に良かったと安心している。働きたいと思った自分の希望への道が、ちゃんと繋がったことに。


身体的にも精神的にも安定するよう心がけながら、これから残りの大学生活を過ごしていこう。
寒いけれど、症状が悪化しないように薬やカウンセリングなどを使ってコントロールしていこう。卒論などで忙しい時期だけど、なんとかなる。大丈夫。
きっと、明日も良い天気になる。



そういえば。私の内々定を取り消した企業だが、まだ新卒が集まらないらしい。
人手不足というのも、なんだかおかしな話である。

先の見えない夏

甲子園の話題で持ちきりな世間では、夏が終わっただの、平成最後の夏だのとなんだかんだ夏を楽しく過ごしている人が多いらしい。

パジャマから着替えもせず、布団をたたむこともせずにひっくり返ってスマホを触り、なにもすることなく一日を終える。そうして私の今年の夏が終わろうとしている。
立ち上がって外に出る気力もない。
いつになればここを抜け出せるのだろう。