進路の話、あるいは夢

トーキョーでの学会が無事に終了した。
あんなに楽しい場所があるとは、ついぞ知らなかった。なんということだ。溢れでる情報、情報、情報。専門家から直に、専門家自身が面白いと思っている情報を得ることのなんと楽しく、心躍ることか。私の知らない面白い研究がある、知らないことばかりでわからない単語ばかりで、それでも単語をメモして調べてもう一度聞き直してどんどん分かっていく。私がしてみたかったことが、身を置いてみたかった場所がそこにはあった。一日がすぎるのがあっという間だ。そして一日が終わると頭は破裂しそうなほどで、理解しきれなかった情報が氾濫を起こして口から飛び出してきそうであった。
夜、ホテルに戻れば仲間とひとしきり騒ぐことが出来た。酒を飲みつまみを貪りつつ、昼間の学会での話をしたり、テレビを見てなんでもない感想を言ったり、自分たちのハマっているゲームの話をしたりした。楽しすぎて頭がおかしくなりそうであった。こんなに楽しかったことを、私は知らない。自分の意思で、友達と会話をして笑うことの楽しさを、同じ部屋で寝泊まりしても気を遣うことのない関係を私は知らなかった。

さて、こんなに楽しかったのだから。私には大学院に行く素質があるのではと、確かに一度は考えた。しかし、3日間。学会という名目で私に与えられた3日間の猶予の中で、最後に私が出した答えは大学院への進学を諦めるというものであった。
ひとつ。単純に自信がない。
うつ病になってこのかた、真面目に勉学をしようと机に向かった試しがない。このような忍耐力と集中力と思考力で、まず試験のために勉強をする自信がない。
そしてひとつ。やりたいことが見つかったが、それは私の精神状態を考えると、不可能である。
学会で様々な発表を見聞きし、私のやりたい研究は動物の脳波などを用いた生理的な分野のものであると確信を得た。そして、そのための実験環境の見学もさせていただいた。実際に現在そういった研究を行っている方から、お話も聞いた。そして、無理だと気付いたのである。
私は動物が好きで、動物をどちらかといえば愛でたいタイプの人間だ。しかし、私がやっていきたい研究には、動物実験が欠かせない。動物の行動を観察したり、鳴き声や習性を解き明かしていきたいわけではないのだ。特定の刺激を与えられた動物が、どのような反応を示すか。脳のどの領域に信号が行くのか、どの神経細胞が発火するのか。そのためには、動物の頭に電極を取り付けたり、小さな小さな籠に入れて何日も何週間も行動を制限したり、餌や水を試験的に変えたりしなくてはならない。
おそらく、時間をかけて慣れれば。
私はそういった研究をする道に進めるかもしれない。だが、それまでに私の精神が保つかどうか。研究に必要不可欠な作業に慣れるまでに精神をすり減らす覚悟があるか。そう問いかけた時、私の心は決まった。

本当に私は恵まれている。そう思う。
進路を考えるという、自分のこれから進む道について悩むということに、これだけ時間を費やせたこと。そして、たくさんの人がそれを支えてくれたこと。どれだけ感謝してもしきれない。感謝をしたうえで、この答えを出すことができた。数年前に暗い部屋の中、死ぬか生きるかという選択すら病気に支配されていた自分からは想像もできなかったことだ。
これから、私は就職活動をしていくことになる。一応、説明会などの予約はしているがまだその程度。何もしていない。
なんの精神疾患もない人でも『病む』と噂の就職活動、現在進行形でうつ病の人間がどこまでできるか試してみるという気持ちでいる。なに、就職できなくても死ぬわけではない。いざとなったら、バイトやパートでなんとか食いつないでいこう。大学に居させてもらえるうちは、悪名高い就職活動とやらにせいを出して行こうと思う。
そして、私には夢ができた。本当に不思議な気持ちだ。あんなにしんどい思いをして、死にたいと何度も思ったのに、今になってまた夢ができるなんて。不思議なものだと思う。私の夢は、生き物と共に生活することだ。犬、猫、鳥、ハムスター、うさぎ、蛇、カエル、モルモット、魚、モモンガ……。保護施設やブリーダーから迎えて、その子達と生きてみたい。自分勝手な夢だが、私の手の届く範囲の命を守って、一緒に生きてみたいと思った。
今回の学会でも、これについて様々な情報を耳にした。動物の生体販売の残酷さ、日本の愛玩動物の流通経路や飼育環境に関する問題点。私には生理的な動物研究はできないけれど、何か他のことで力になりたい。そのためには何が必要かというと、金と情報。現実は優しくない。しかし、何か目標があるというのは、きっと働くことのモチベーションを上げることにつながる。

大層なことを長々と書いてみたが、本当に今はまだ夢物語である。だが大昔、それこそまだ一桁の年齢の頃に心に夢を描いていたときのワクワクする気持ちを久しぶりに感じている。これからどんなふうに私が生きていくのかは分からない。つらいことや苦しいこと、悲しいことやしんどいことはたくさんあるだろう。だが、たまにこんな気持ちが味わえるのなら。楽しくてたまらない、やりたいことが自分にはたくさんあるという、そんな気持ちになれるのならば。たとえ何種類も薬を飲んでいても、死にたくなる時があっても、もう少し生きていても良いかもしれないと思うのだ。
明日も良い日になるといい。