ありふれた自分語り、友人について

私は、私は、私は。
どこまでいっても自分のことしか話をしないが、許してほしい。このブログでは、おそらく記事の9割が私による私のための私の自分語りである。
救いようがないと笑われるかもしれないが、自分なりに自分を整理する場所を設けて、それを誰かに少しでも見てもらいたいと思ってしまったのだ。私は私の承認欲求を肯定し、なるべく周囲に被害が少ない方法を選んだと考えている。

家族を除いたほぼすべての人に、うつ病のことを隠して生活している。信頼できる大学の教授と、片手に収まるだけの友人。私の病気を知っているのは彼ら、彼女らだけだ。
だが非常に幸運なことに、様々な人が私に声をかけてくれる。飲み会の誘い、休日のランチの誘い、講義をともに受けようという誘い。ありがたいことにここ最近、私はたくさんの人と接することが出来ている。それは素晴らしい友人のおかげでもあり、私が少しだけ自分の考え方を変えることができたためでもある……と、思っている。今回はそのことについて、まだ纏まらないながらも書いてみようと思う。

大学生になった4月。絶対に自分の病気は誰にも言うまいと私は決意していた。それまで不定期に行っていたリストカットをやめるためにカッターを親の前で捨て、薬もきちんと管理して容量を守って服用するようにした。私は、周りから“得体のしれない存在”だと思われることを恐れたのだ。
リストカットや、薬の過剰摂取による明らかな異常行動は、おそらくほとんどすべてのコミュニティで受け入れられない。多くの人々は、それらの行動に対して嫌悪感を抱くだろう。私はそういう意味での、敬称としての“メンヘラ”とは呼ばれたくなかった。私自身は、そういった行動に対する嫌悪感はあまり無い。むしろ、そういうコミュニティに所属してきたために、それらが個人的な理由によるもので、簡単に善悪を決めることができない行動だと考えている。話がそれた。
ともかくやめたのだ、周りに知れる自傷行為は。
そして、なるべく他に頼る手段を探した。
不定期に体調を崩すことが多いため、大学の講義に全て出られない可能性がある。その時にノートを借りることのできる人を作る。講義内容を教えてくれる人を作る。一緒に座らせてもらえる人を作る。大学に行きたいと思わせてくれる人を作る。嫌なやり方だと思ったが、自傷行為に頼らず病気を明かさず生活すると決めたため、なりふり構っていられなかった。出来るだけ多くの人に自分から声をかけに行った。いわゆる仲良しグループが出来上がってしまってからでは入っていけなくなってしまうと考え、入学初日から奔走した。一人でいて、なるべく優しそうで、教科書を机上に並べている人。笑顔とワントーン高い声を心掛けて、世間話を振った。世間話が出来るなら何か好きなことを尋ね、趣味の話を。相手の顔色を見ながら話を進めるのは、大変で疲れることだったが、仕方がないと割り切っていた。
やがて懸念していたことが起きた。どうにも体調が悪く、大学に通えない日が続いたのだ。私は頼れる限りの人を頼り、その間のノートを集めることにした。
病気を明かさない以上、他に大学に行かなかった理由が必要だ。「風邪」「サボり」「家庭の事情」など、どうしたものかと悩んだが結局「サボり」と言うことにした。周囲から「しっかりしている」と認識されると後々どうにもならなくなると思っており、最初から自分は適当な人間だと思ってもらった方がよほど気が楽だと考えた故の答えだった。もちろん、毎回サボりだと言うわけにもいかない。風邪をひいたという言い訳も混ぜて、なんとか不自然にならないように考えた。
都合よく他人を使うという罪悪感と、それでもそうしなければこの先やっていけないだろうという不安からガチガチに緊張して、私はそれまでに声をかけ、ラインの連絡先を交換した人々にひとりひとりメッセージを送った。返信を受け取るまでが不安で、動けずに布団の中でミノムシのようになりながらただただ祈っていた。だが一体何を心配しているんだと言うように、人々はとても好意的だった。ある人は私にサボりグセがつくのを心配してくれ、ある人は私の風邪を気遣ってくれた。代わりに出席しておくから、今度お菓子を奢れと言ってくれる人もいた。
今思えば当たり前だが。誰一人として、私を「厄介な精神疾患でも持っているんじゃないか」とか、「高い授業料を親に払ってもらっているのに生意気だ」とか、「サボるなんて甘えだ、やめてしまえ」とか。そういう言葉で糾弾することはなかった。私は自分を嫌い、コンプレックスを抱きすぎていたのかもしれない。他の人は、それほど私のことを嫌悪感丸出しにして気にしてはいないのだと、なんとなく感じ取った。
その時から、私は少しずつ変わっていったのだと思う。また、この頃から大学のスクールカウンセラーのもとに通い、自分のことを話す時間を設けるようになった。最初は親に言われて設けた時間だったが、一年経つ頃には自分でカウンセラーと予定を決めることができるようになった。このカウンセリングも、私の考えを変えるのに大きな影響を与えてくれた。自虐的な思考から解放され、他人と楽しく関わることができるようになるために、私は手探りで色々なことを試してみた。もちろん、精神的に余裕のあるときに。
例えば、意識して図々しくしてみた。
何でも引き受けすぎるとさんざんカウンセラーや医者に言われたので、意識して少し図々しく他人と関わることにした。が、難しかった。どうしたらいいかわからなかったのだ。会話の中で冗談めかして、ジュースを奢ってと頼んでみると、相手はおかしそうに笑ってくれた。不快にさせてしまったらどうしようと謝りかけたがこらえる。すると、次に顔を合わせたとき、今度は相手が同じことを冗談めかして私に言った。なんとも擽ったくて何でもないことなのに私は笑い、それはとても楽しかった。
例えば、意識して一緒に行動する相手を分散させてみた。
一人の人間に依存する傾向があると私はようやく自覚しはじめていた。一人に依存しきって関係を壊すことだけは避けたかったので、意識して関わる人を日々変えることにした。この人が全てで、この人以外はただの他人という、1か0かの人付き合いではだめだと思った。これは意外と簡単であった。講義ごとにともに受講する人が違ったからだ。しばらくすると、何か聞きたいことがあるときに気軽に聞ける人は予想以上に多くなっていた。そして意外なことに、私と遊びたいという人も出てきた。私は自己評価が非常に低かったので、断りたかったがせっかくの誘いだ。断るのは失礼にあたると、何回か応じさせていただいた。相手に合わせようと行動しながら遊ぶというのはやはり疲れたが、その中で、疲れるけれども一緒にいて楽しい人、疲れるだけで一緒にいても楽しくない人がいるということに気付く。これは大きな発見だった。他人と関わるということは、程度の差はあれど疲れるものなのだ。だが、相手との時間で得られるものが大きいということもある。このことに気付くことができたのは、本当に幸運であった。
と、色々と試してみて気付いたことがたくさんあった。
そして、私にとって大切なたくさんの発見の中でも、今の私を最も支えている発見が、「全てを受け入れてくれる人間はおらず、また他人の全てを受け入れる必要はない」というものだ。
十数年生きてきて、私にとっての絶対は長らく母であった。また、数年間はとある女性であった。私は彼女らの全てを受け入れ、全てを肯定し、全てに従わねばならないと思っていた。そうでなくては私は彼女らから見切りをつけられ、捨てられると思いこんでいたのである。何とも滑稽な話だと思うだろう。私もそう思う。そして、自分が相手の全てを受け入れるのだから、相手にも自分の全てを受け入れてほしい、そうでなくてはおかしいとも考えていた。自分勝手にも程があると思う。この考え方は、おそらく私の生まれ持った性質だけのせいではない。環境も要因の一つであろう。残念ながら私の生まれ持った性質と、育った環境とでは少しばかり相性が悪かったらしい。環境に恨みを持っているかと聞かれたら否定はできないが。
しかし、そうではないのである。聖人君子ならいざ知らず、私はただの人間であり、好きなものもあれば嫌いなものもある。自分の考えを持ち、許せないと思うものも当然あり、怒りや嫉妬、醜い感情も溢れんばかりに持っている。それは、殆どの人間において同じなのだ。
私がAさんを好きになったとしよう。私はAさんの明朗快活な性質を好きで大切だと思うが、それでもAさんの貧乏揺すりの癖はどうにも好きになれない。Bさんの優しくて真面目な性質を私は好ましく思っても、私にまでカバンの中の整理を強要してくるのは辞めてほしいと伝える。
全てを受け入れてくれる人を今望むのならば、それは素人にはもう荷が重いだろう。カウンセラーに頼むか、はたまた献身的なパートナーに頼むか。だが後者は難しいかもしれない。好きか、嫌いか、どちらかではない。全て好きになることも全て嫌いになることもない。おそらくは、その比重が大きいか、小さいかなのだ。もちろん、好ましいという比率が大きすぎたり、好ましくないという比率が大きすぎたりすることはある。そんなことは稀だと思うけれども。
こんな当たり前のことに、私は何年も気付くことができなかった。そして、それで良いのだということに気付くのにも時間がかかった。だが気付いたとき、なんとなく他人と関わるのが少しだけ、本当に少しだけだが楽になった気がした。

少しずつ、おそらく多くの人がすんなり無意識に理解していることを長い時間をかけて理解しながら、私は今日も他人と関わっている。傷つくことはもちろんある。私も気付かないところで他人を傷付けている。そんな時は、どこか吐き出せるところは無いかと探してみるのだ。適当に流して聞いてくれる人はいないだろうか、それともカウンセラーに演説をかましてみようかと。
手探りであれこれしているうちに、それでも私に声をかけ、また好意的に接してくれる人たちがいた。私はその人たちを友達と呼び、出来る限り健全に付き合っていけるようにと、今までの発見を頭の隅に置いてたまに思い出すようにしている。

つい最近、あんなに心に決めていたというのに、私は病気のことを友人に明かした。言い訳といえば聞こえのいい嘘をついて大学に通えないことを誤魔化す生活に、どうにも耐えられなくなったというのもある。そろそろ話さなければとも思っていたし、慎重にときと場所を選ぼうと考えていた。が、なんということはない。雑談をしていて、ポロっと。本当になんの気なしにポロっと、話してしまったのだ。あんなに隠していたかったことを、世間話のように。そして、それを聞いた友人も世間話をするように平然と相槌を打った。体調が悪いのはそういうことだったのね、と。それだけであった。私は言ってしまったあとで取り繕わなければと慌てた。私には精神疾患があるが、どうかこれまでどおり普通に接してほしい。体調が悪くなることもあるが、他の場面で必ず挽回するからと。友人たちはなんてことないように、私は私であるのだから接し方も変わらないし、今まで通りだと言ってくれた。そしてそれから今日に至るまで、私はなんの違和感もなくいつも通りの日々を送っている。いつの間にか私のことを受け入れてくれるようになっていた友人たちに感謝しつつ、私も友人たちのことを自分のペースで受け入れ、楽しく付き合っている。

好きと嫌いの比率、受け入れるか受け入れられないかの比率は、時間とそれまでの関係によっても変化するのかもしれない。一定の気遣いと感情の共有。他にもたくさんの要素が複雑に絡み合って人間関係を形成していく。
これまでに気付けたことを書いてみた。人と人との関わりは本当に複雑で難しく、正解など無いのだろう。何ともありふれた言葉だ。ありふれすぎていて気分が悪い。だがそう言うしかないのだ。ぼっち行動も楽しいが、他人との行動にも楽しみを見出だせる人間になっていきたい。なぜならその方が私が楽しいから。私が楽しむために、そして“誰か”も私と居て楽しめるようになりたいと思う。
では、このあたりで。