彼女との思い出語り

小さい頃から誰か特定の友達を作ることが苦手だった。特に女子とは全く話が合わず、見た目もかなり男よりだった私はたいてい近所の男子と登下校を共にし、また学校でもよくつるんでいたと思う。今考えれば、ゲーム禁止、パソコンも禁止、テレビも夜9時以降は禁止で友達と遊ぶときは目的と場所と時間を母親の満足のいくように答えられなければいけなかったのだから、話が合わないのも道理である。ついこの間まで私はゲーム機というものを持たなかった。マリオやポケモン、どうもり(おそらくこれはどうぶつの森の略称だと記憶しているが定かではない)、カービィサルゲッチュなど、当時やってみたいゲームはいくつもあった。しかし親に許してもらえず、お年玉で買うことも禁じられ、なかなか友人宅にも遊びに行けなかった私はついぞそういったものに縁がなかった。大学生になってバイト代を使えるようになったが、あの時やってみたかったゲームはもう新規では店頭に並んではおらず、中古を古本屋などで探すことになった。なんだかそれは少し寂しいことのように思えて、しかし私にはもうどうにもできないことなのである。
話がそれた。
何はともあれ小中学校と、私には女友達というものがほぼなかった。いま連絡を取れる人間もない。かろうじて数人の男子とはつながりがあるが、月に一回Lineするかしないかである。小・中学校時代、友達とどこどこに遊びに行く、なんていう女子が心底羨ましかったが私はそれを認めなかった。「こんな時期から子供同士で遊びに行って、将来が心配だ」「親は何を考えているんだ」という、私の親の声をそのまま自分の考えとした。だから当時は本気で、子供同士で遊園地やデパートに遊びに行く子たちを蔑んでいた。なんともおかしな話だ。羨ましいなら羨ましいと、その場で泣いて喚いていれば今の私とはまた違った道を歩んでいたのだろう。

どこか釈然としない気持ちを抱えながらも、同年代の同性の友人を作れずにいた私だったが、たった一人だけ友達と呼べた女性がいた。
読書が好きだという彼女とは小学生の時分に出会った。だんだん周囲とずれていく価値観に不安を覚えていた私にとって、彼女は救世主だった。読書という、とっつきにくい趣味でありながら活動的で、何でも自分で決めることができ、よく笑いよく怒りよく泣いた。
親に従うばかりで自分の意思を通すということがなかった私は、それから彼女にくっついて回るようになる。彼女がいいと言うことをし、彼女に禁止されることはやめた。少しだけ親に反抗できた。従うのが親から彼女に変わったのである。ころころ表情がよく変わる機嫌屋な人だったが、私の親もそうだったからあまり気にならなかった。彼女についていれば何でも上手くいく気がしたし、それまで特定の人間と長く関わったことがなかったから彼女と何でも一緒にするのは楽しかった。“普通の女の子”のように、トイレにも一緒に行き、毎日一緒に帰り、ちょっとしたことで絶交され、小さなメッセージカードで仲直りをした。たまに振り回されていると感じることもあったが、それを含めた日々が私には大切になっていった。
やがて彼女は私の交友関係を制限し、私はそれに従った。あの子と話すなと言われれば話さなくなった。また、帰り道でお互いのことを世界で何番目に大切かを毎日報告しあうようになった。私はいつでも彼女を一番好きで大切だと答えたかったが、彼女は「自分のことが一番キライで一番好き」と笑いながらいつも言った。私が彼女の一番でないのが悔しくて、たまに私も一番目を家族や自分にした。その時彼女がどんな顔をしていたのか、もう思い出せない。
中学に上がってからもあまり関係は変わらなかった。私は彼女に付き従い、二人は友達であるように振る舞った。何時頃からだったか、彼女は左の腕の内側に傷をこさえてくるようになった。手首のあたりには太い血管がある。子供心にそう思っていた私は酷く慌てて、どこで怪我をしたのか、誰かに酷いことをされたのかと聞いた。彼女は蠱惑的に笑って、自分でやったと囁いた。その時の衝撃は言葉では言い表せない。私はいつか彼女が死んでしまうのではないかと思ったが、彼女は自分が死なないために傷をつけるのだから大丈夫だと言った。私には意味がわからなかった。意味がわからなかったが、わからなければならないと思った。私は彼女の友達であるから。しかし、腕に傷を付ければ親にバレてしまう。私は足首にカッターをあてて、毎晩切る練習をした。彼女の赤黒く腫れた手首を思い出して、今夜もし彼女が死んでしまったらどうしようと泣きながら。だが私には皮一枚が精一杯で、血が出るほど切ることはできなかった。毎朝その事を彼女に懺悔し、彼女は柔らかく笑いながらそれでいいんだよと言ってくれた。
そのうち学校内でいじめがあって、彼女が標的にされた。原因は私だった。
彼女が所属していた部活の女の子たちがやって来て、私に一つ質問をしたことがある。たしか、その部活の部長の好きな人を私が知っていたことについて。部長の好きな人のことを、誰から聞いたかと尋ねられた。私はとっさのことで何も考えられなかった。正直に彼女に聞いたと答える。女の子たちは何やら頷きあったり呆れたように天を仰いでいた。そうしてから、私にありがとうと猫なで声で礼を行った。その時になって、私はとんでもないことをしてしまったことに気づいたのであった。
彼女は学校に来なくなった。彼女の部活の女の子たちが先生に呼び出された。私は毎日彼女のことを考えながら、その不安を誤魔化すために高校受験の勉強に没頭した。頭の中には両手首と腕を赤黒く染め、ニコニコと笑う彼女が常に居た。夢の中で彼女に笑いながら殺された回数は数え切れない。何度も幸せそうに笑いながら私は死んだ。ごめんなさい、ありがとうと吐き出しながら彼女に殺され、幸せに死ぬ夢を何度も何度も見た。もとから彼女が周囲から浮きはじめていたことには気付いていた。だが私は彼女に嫌われたくなくてどこまでも彼女を肯定した。彼女を失えば自分の半分がなくなってしまうような、まるで彼女と私がひとつであるような錯覚まであった。であったのに、私が彼女を傷つけるきっかけを作ってしまったのである。
中学3年の秋ごろだったか、夏だったか。私は限界を迎えた。
みっともなく親の前で泣き叫び、助けてくれ彼女が死んでしまうと縋った。私のせいで彼女が死ぬ、彼女を殺してしまう、お母さんが彼女をよく思っていないのは知っているけど助けてほしいと懇願した。ただならぬ様子に気づいた母がスクールカウンセラーや担任に連絡を取り、私はカウンセリングを受けることになった。彼女もそうであったらしい。
小学生の頃からそれまでのことをカウンセラーに吐き出しきると、カウンセラーはすぐに彼女と離れるよう私に命じた。母はホッとしたように頷き、私も頷いた。もう何も考えられなかった。彼女が大切だという気持ちと、もう疲れた、限界だという気持ち。そして高校受験がすぐにやってきたことで、私はその忙しさに全ての記憶を思い出さないようにと押し込めることになる。
卒業式の日。
彼女は私の知っている笑顔で桜の下に立っていた。同じ部活の子たちと楽しそうに談笑していて、私は彼女の腕を確認するのを忘れた。
最後に教室に集まって、友達の卒業アルバムに各々メッセージを綴った。私はぼーっと、自分の部活の子たちとメッセージを書き込み合っていた。すると、うしろから肩を叩く人がある。振り返ると、同じ部活の子に付き添われながらアルバムをこちらに差し出す、彼女の姿があった。「何か書いて」。照れ臭そうに言われ、私は混乱のままに何かを書き込んだのだろう。彼女は満足そうに笑うと、そのまま私のアルバムに一言二言書き込んで去っていった。何を書いたのか書かれたのか、高校受験が終わったあたりでアルバムさえもう捨ててしまった。彼女は遠くの県へ引っ越していって、それきりである。

汚い独白に最後まで付き合ってくださった方、本当にありがとうございます。
思春期に出会い、付き合った彼女は本当に私の人生に大きな影響を与えたと思う。あれから何年も経つが、私はまだ彼女の夢を見る。ずっとこの夢を見続けていたいと思う。しかし、半身がなくなってしまったような喪失感はもうない。

なぜこんなことを今書いたかというと、梅雨だからだ。彼女との思い出の中に、今もひときわ忘れられないものがある。
しとしと雨が続いていた早朝、珍しく私も彼女も部活の朝練習がなく、二人でだいぶ早く学校についてしまった日。合羽を着ていたとはいえ自転車で通学していた彼女の全身はしっとり濡れていた。まだ眠い、と目をこする彼女は不意に私の手を引いて、当時は使われていなかった物置のような部屋に連れて行った。そこで古びたソファに私を座らせ、訳もわからず呆けている私の膝の上に小さなその頭を乗せた。雨とほこりの臭いのなかに、彼女のシャンプーだろうか、甘い匂いが混ざる。湿った黒くて柔らかな髪を恐る恐る撫でると、表情まではわからなくとも肩の動きで彼女が笑ったのが知れた。その時初めて私は、時が止まればいい、という言葉の意味を知った。さあさあと小さく雨の音が窓を叩き、他の物音は一切しない早朝の校舎でこんなことをしているのはひどく背徳的で、私を随分掻き乱した。
雨の匂いが強くなると思いだす。先日しとしとと降り続く雨の中で思い出したので、せっかくならこの機に書き記しておこうと思ったのだ。

書くことができてよかった。読み返すと、まあ歪んだ付き合い方をしたものだと思う。当時は気付かなかったが、二人の関係はもはや友達のその上の何かであったのだろう。友達だと言い張るには距離が近すぎた。よくある思春期の人間関係だと言われればそれまでだが。

彼女が今幸せであって欲しいと思う。