自分語りとブログについて

ちょっとおしゃれなネットユーザーははてなブログで記事を書いている。ちょうど何かしらを書き記したかった私は、そんな下心と純粋な気持ちでもってブログのアカウントを作った。
要するに、何かを書きたかったのとその書いたものを誰かに見てもらいたかったのである。

こんにちはこんばんは。ツイッターを見てくださっている方はご存知でしょうが、ヘラ子といいます。

高校3年生の秋に鬱病と診断され、単位ぎりぎりで卒業して浪人。一年越しで大学を受験し私立文系大学に入学した、現在留年はナシの3年女子大生。
女子大生と書くと何か許される気がするのは何故だろうか。なんとなくふんわり柔らかい響きがする。上に、はちゃめちゃに生クリームの乗ったパンケーキのような。私の場合は間違ってもそんなおしゃれな存在ではなく、日々を生きるだけで精一杯のオタクであるが。

さて、これまでさんざん好き勝手ツイッターで呟いてきたが、ここでも好き勝手書いていこうと思う。私はもともと文章を書くのが好きだ。下手の横好きというやつだが、とにかく、白い紙に自由に文字を踊らせてそれを読み返すのが好きなのだ。小説、詩、短歌、俳句、川柳。知りえたものは何でも自分で書いてみた。特に小説に関しては、小学生の頃からちまちまと書き続けていた。考えたシナリオや登場人物の設定が、いきいきと流れるように動き出す感覚がたまらない。しっくりくる言い回しを見つけられずに悩む時間もわくわくした。鬱病を患って、それも一旦やめてしまったが。
しかし、つい先日、1本だけ2次創作ものの小説を書く機会があった。以前書いていた時も自分の小説が素晴らしいと思ったことは一度もないが、それにしても『書く』という感覚を忘れていて思わず笑ってしまった。同時に湧き上がった、もう一度書きたいなあという気持ちも無視できなかった。
オリジナルでも2次創作でも日記でもいい、何か書き記したいと思った。
何かを『書く』という行為は、私にとってとても大切なものだった。それは幼少期に親に様々な娯楽を制限され、読書のみが唯一許された趣味であったからかもしれない。それとも、他人に自分の気持ちを口で伝えることの苦手な私が、自由に自分を表現できる場所が白い紙とえんぴつのある机の上だけだったからだろうか。あるいは、『操られている』と感じる程度には過干渉だった親への、些細な抵抗だったのかもしれない。この『書く』という行為だけは、私が選びとって好きになったものだという、それはそれは小さな抵抗だったのかもしれない。

その行為が、ある時を境に全く思うようにできなくなった。鬱病だ。この迷惑な病は、私から様々なものを奪っていった。まずは集中力を。ポジティブな思考を。笑顔を。気力を。生きたいと思う気持ちを。
活字を追えなくなり、シャープペンシルすら手の力が抜けて持てなくなり、それどころか何も書きたいことがなくなってしまった。それまでは自分の中から出てくる、「これを書き記しておきたい」という衝動に従っていればそれだけで楽しかったのだが、その衝動自体がなくなってしまった。そこからは地獄だった。
今まで出来たことがどんどんできなくなった。心細い。不安を取り除けそうだと思えば何にでも手を出した。ツイッターを始めて、ぐちゃぐちゃになった苦しみを吐き出そうとした。リストカットをして、痛みによる刺激で正常に戻ろうとした。ツイッターで知った、フォロワーの多い『メンヘラ』と名乗る多くのアカウントを真似して、私も仲間に入ろうとたくさん薬を飲んだ。出会い系サイトに登録して、話し相手を探した。いっそ死ねば解放されると、首を吊った。
残念ながらそれらの行動はあまりよろしくない。と、今ならわかる。当時はわからなかったし、考えたくもなかった。その時の苦しみから逃れられるならば何でもしようとした。
その過程で、人間関係も壊した。壊れたのではない。病気ではあったが、確かに私が壊した。少し病気が良くなってきて周りに目を向けられるようになった頃、メールやLINEやツイッターのDMで、ひとりひとりに謝りに回った。忘れてしまっている人もいたかもしれないが、せめて覚えている人には謝りたいと考えたのだ。結局は自己満足のためだと言ってしまえばそれまでなのだが。

何もできない時期を越えて、人間的な活動が出来るようになってきた頃。漫画が読めるようになった。それを皮切りに、短い時間なら新聞を読んで理解できるようになり、短編小説が読めるようになり。大学2年生になる頃には、心理学の講義で使用する論文も読むことができるようになった。未だ気分の波はあり、具合の悪い時は文字の上を目が滑ってしまう。しかし、活字を追うことができるというのは大きな自信になった。
そして今である。前置きが長くなったが許してほしい。自分語りを長々と書いてみたかったのだ。おそらくこれからも書く。飽きるまで読んでほしい。
読めるようになった。ならば次は、本当に好きだったこともまた出来るようになるのではないか。
そもツイッターを始めたときも、短い文章なら読めるし書けるのではという気持ちがあった。今ならまた以前のように、好き勝手に書いていけるのではないかと思ったのだ。

と、いうわけで私はこうして記事を書いている。
調子の悪かった時期のこと、病気のことを書くのはしんどいがなるほど、意外と長く書けるなと素直に思う。
はてなブログのことは、「ちょっとおしゃれな人が書いている、なんか面白そうなヤツ」くらいの知識しかないしもはやこれは知識でも何でもないが、飽きるまで続けてみる。何か書きたいことがあれば書くことにする。

ブログの記事についてだが、私はスマホの、いわゆるソシャゲが大好きなクチなのでその感想をいきなり語りだすかもしれないし、この記事のように自分語りをしだすかもしれない。はたまた、突然AVの感想を語り出したかと思えば将来への不安を吐き出し始めるかもしれない。タイトルで記事の雰囲気がだいたいわかるようにしておくので、読みたいなと思ったものがあれば読んでくれると嬉しいなと。
それでは今回はこの辺りで。